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ごあいさつ ようこそ、爲川屋へ 私の簡単な自己紹介と、このホームページの、というか私のホームページの歴史(おぉ重いなぁ)みたいなのを、ちょこっと紹介します。 名前は爲川雄二と書いて「ためかわゆうじ」と読みます。「爲」の字がちょっと難しいですね。「為」の旧字体って奴です。ですから、面倒なら今の字体でもいっこうに構いません。私自身、面倒な時とか、ちょっと怪しい書類(例えば、入会金無料のポイントカードなんかの情報って、どこに行くか分からないでしょ。そこで、ちょっとは情報の流れが分かるかな〜と思って意図的に「為」を使ってます)に書く時には今の字体で書いてます。よく、斉藤さんの「斎」「齋」とか(「齋」←「臍(へそ)」に似てるなぁ)、渡辺さんの「邊」「邉」とかに、すんごい固執してる人っているけど、私はじぇんじぇん気にしません。「ためかわ」って名字そのものが珍しいので、漢字まで面倒みきれない・・・ってのは半分ウソです。この名字って、電話でも困るんです。「タネカワ」「カメカワ」・・・幾度となく間違えられてます。 「ポール」というミドルネームもございまして・・・まぁ冗談ミドルネームですが、非公式の所でだけ使ってます。これは、私が大学院修士課程の頃、知り合ったアメリカ人の研究者に「ウチの研究室のポールに似ている」と言われたところから来ています。綴りは"Paul"・・・ポール・マッカートニーとかポール・アンカのポールですね。 あとの自己紹介については、こちらに一覧みたいにしてます。よろしかったらそちらもどうぞ。 私とホームページというものの関わりですが、平成7年っていうから、もうかなり前になりますね。それ前から、電子メールなんかは使っていました。貧乏大学院生だったので、外に遊びに行く訳でもなく、真面目に勉強する訳でもなく、朝から晩まで研究室に籠もって(時には泊まって)、パソコンで遊んでました。と言うより、金のかからない娯楽を探そうと思うと、それしかなかった、と言うのが近いかもしれません。当時ハマったのが、IRC(Internet Relay Chat)と呼ばれる、インターネットを利用した文字ベースのチャットでした。そこに「#学芸大」なる、誰もいないチャンネルを作っていたところ、当時4年生のS氏がチャンネルに入ってきました。S氏はやはり学芸大の教育情報科学なる専攻の学生で、大学の情報処理センターに常駐しているような人でした。彼としばしチャットに耽っていた時、私が何気なく「ホームページってどうやって作るの?」なんて聞いたら「自分のディレクトリにpublic_htmlってディレクトリ掘って、そこにindex.html作ればできる」と、たった1行で教えてくれたのです。今思えば、あったり前のことなんですが、それすら情報として入ってこなかった時代です。それから第一弾「ため吉ページ」の作成に向けて、修士論文そっちのけの悪戦苦闘が始まりました。当時は情報関係以外の専攻の学生は誰一人ホームページを持たなかった時代、index.htmlをエディタでいじってはブラウザ(Netscapeの2.0だったかなぁ、もちろんWindowsは3.1)でリロードして、変化の様子を眺めて・・・おっと、その前にchmodでハマった。(よく分からない人、すみません) ちなみに最近の大学は、授業の一環として「ホームページの作り方」なんて教えてもらえるようになったそうですね。いい時代になりました。 そんなこんなで、何とか「ため吉ページ」は立ち上がり、IRCの常連メンバーを中心に、見てもらってました。今もそうだけど、ホームページって見た目中心になりがちだったし、私がもともとオーディオ好きだったというのもあって、音関係は充実させたいという気持ちがありました。でも当時はReal Audioなんてなかった(あったかもしれないけど、今ほど普及していなかった)時代、時間的に長い音データは莫大な容量になり、ダウンロードする人もイライラさせてしまう、というのを覚悟の上で、3分のauファイル(約1.2メガバイト)を貼り付けました(主な内容は それから数ヶ月後、やっとこさ修士課程も無事出られて、余所の大学の博士課程に入ったんですが、ここでもメールサーバに上記と同様の手続きでindex.htmlを作ったところ・・・これが見れちゃったんですねぇ。そこで「新・ため吉ページ」の作成に着手した訳ですが、しかぁし、世の中そんなに甘くない。もともとは単なるメールサーバ、httpd(ホームページを見せるためのサーバ上のプログラム)が走っていたとしても、そこは問屋が卸さない。管理者からの「公にはするな」との通達によって、ずーーーーーっと「このページは試作中です」との文言が消えることがなかったのです。そう書いておいて、中身を充実させる、という手もったのですが、なぁんか暇がなくって、結局2ページくらいの、文字通り「試作中」のもので、その短い命を終えるのでした。何故終えてしまったのか。それは、メールサーバが移行されて、純粋SMTP/POP3のためだけのサーバになってしまったからで、シェルすら使用禁止となってしまったのでした。しぃくしく。 1998年、「そんなんやったら、いっそのことプロバイダ入って、堂々とやってまえ!」と、当時住んでいた東村山の格安プロバイダに入って、「ため吉ページ・ねお」を始めました。 そこでも主に音ものコンテンツを載せてましたが、特に高校時代からのお付き合いである「淳ちゃんバンド」の思い出ページを作ったところ、事の他、多くの方々から「懐かしい〜!」「昔話のネタに持ってこいだよ〜!」なるご感想を頂きました。 2002年、東村山を離れて遠く岡山の地に居を構えるようになり、「ため吉ページ・ねお」を置かせてもらっていたプロバイダとの契約も切れ(それでもコンテンツを残してくれてたのは非常に有り難かったのですが)、も〜そろそろ固定アドレスでやりたいなぁ、と「tamechan.info」なるドメインを取得してしまいました。 しかしながら、なかなかコンテンツを移転させる暇というか思い切りがなく、せっかく取ったドメインも、もっぱらスナップ写真置き場と化していました。 まだ続く。もうすぐゴールだ。 岡山に住んで1年。またもや移動です。 2003年、1000km離れた仙台に来ました。職場のHPに自分のコンテンツも作るようになりました。そこで、職場のコンテンツは「アカデミック・サイド(A面)」、こちらを「バカデミック・サイド(B面)」として、私という人間を両側からお伝えしよう!と、この度「爲川屋」のオープンとなりました。 これからモリモリ充実させて行くつもりはなく、細々と続けていきます。 よろしくお願いしますです。m(._.)m |